地震について 4

今回の地震で、我が家は比較的早く電気がついたけど、その後しばらくつかなかったお宅もたくさんあった。

道路を挟んだ向かいは点いているのに、うちはついていないという現象が多々あったよう。

そういうせいもあるかも知れないけれど、地震直後より数日後の方が人がすさんでいた気がする。余震で眠れないストレスに加えて、日常になかなか戻れない、ものがない、そういったストレスが少しずつ積もっていくのがしんどかった。

スーパーやコンビニから生鮮品はなくなり、カップ麺ばかりが並んでいた。

非常食はもういらない。生野菜が、普通の食事が食べたいと思うのに、店にはない。パンも姿を消した。やっと見つけたパンは菓子パンばかり。

強力粉とイーストでパンを焼いたけれど、後になったらパンの材料すら店頭から姿を消した。牛乳も手に入らなくて、昼間には入荷するらしいけど、仕事を終えて帰る頃にはもう一本もないという日々が続いた。コンビニで働いてる友達に取り置きしてもらって夜に取りに行ったりして凌いだ。

「がんばる北海道」と貼られているのを見ると、何を頑張るんだと反発したくなった。「頑張れ」ではなく「頑張る」にしたところに強制ではないという意図を感じたけど、

日々を普通に生きることしかできない人間が、普通に生きていることが「頑張る」ということなのか。私たちは頑張っているんじゃない生きているだけだと思った。

おそらく震災の被害にあった農家や酪農家さんをはじめ、皆さん頑張っていたと思う。お互いを「頑張ろう」と励ましたりもしたかもしれない。でも頑張ろうと思って頑張ったんではなく、生きるために頑張るしかないということに他ならないじゃないかとおもう。

東北も熊本も大阪も北海道も、みんな頑張っている。

地震は今後もどこであるかわからない。ボーイスカウトの教えに「備えよ、つねに」とあるけれど、本当だなぁと思った。

 

地震について 3

長男の帰りを待って、自転車で職場へ。休みなのは分かったけれど、市内の様子も確認したくて、出かけてみる。車はガソリンが半分程度だったことと、信号が動いていない中で札幌中心部へむかうのはさすがに怖かったので、自転車を選んだ。

店舗はほとんど休業。信号もない中で、みんなが気をつけながら車を運転していたことに感心した。普段からこうやって運転したら事故が減るだろうに。

こんなに歩行者が多いのも初めて見た気がした。

警察官はどこにいるんだろうというくらい姿が見えない。警告なのかお礼なのかわからないクラクションがあちこちから聞こえたくらいで、驚くくらい街が静かだった。

なんとなく災害の時には人が荒んできたり、犯罪が増えたりしそうな勝手なイメージがあったけど、全くそういうものがなくて、日本はすごいなぁと本当に思った。実際はひったくりなどもあったようだけど、見ている限りはみんなマナーを守っていたように見えた。

スマホは情報収集に利用したり、LINEで連絡を取るのに必要だったので、通話は主に次男のキッズケータイを使っていたけれど、それでもバッテリーが保たない。昼くらいになったら徐々に回線が混み合ってきて、まずHPが見られない状況になった。ポケットWi-Fiのバッテリーが切れたために携帯回線が混み合ってきたとか言われてたけど、詳細は不明。午後になるとさらに顕著になって、ネットは繋がらないLINEも届かないと状況になる。それでもLINEは文章はなんとか時間差でも読み込む。写真や動画は無理。

ラジオで携帯の充電場所や無料Wi-Fiスポットが流れてたし、みんな教えてくれたけど、正直遠いし余震もあるし子供を置いては行けない。行ったとしても充電はものすごく並んでいたらしいし。

普段からモバイルバッテリーを充電しておくこと、ノートパソコンがあればその充電もしっかりすること、あとは車のガソリンをこまめに入れることが大事とわかる。

午後3時くらいに病院の近くに住んでいた人の家が通電したと連絡が来た。羨ましいと思いながら、日が沈む前に夕食を作らなければいけないので準備にかかる。

牛乳消費のためにグラタンを作ったけど、本当に牛乳は取っておけばよかったと思う。

ランタンで夕食。

食後に星を見るためと、家の中ではもう携帯が繋がらないので外に出る。

星は本当に綺麗だった。携帯が繋がる場所で夫に電話をしている間に通電。急いで家に戻る。

落としていたブレーカーを上げて、通電。電気のない生活も面白かったけれど、電気が通った時にはホッとした。

まずはずっと心配して情報を送ってくれた実家の兄に携帯で連絡。停電の間繋がらなかったひかり電話も繋がり、夫の実家から電話。もう大丈夫と報告。

まずは携帯とモバイルバッテリーの充電。洗濯をしてシャワーを浴びる。

普通の生活のありがたさを知れた気がした。

地震について 2

翌朝は日が昇らないうちから携帯のLINEがポコポコとなる。

主に職場関係の人たちのグループLINEで、地下鉄が動かないこと、路線バスがどうなるのかということ。要は仕事に行けるのか、行くべきなのかという会話が続く。

この時も停電はしていたが、送電線が切れたか何かの一時的なものかと思っていたので交通網が回復しなければ休めばいいというような内容を話しつつ、停電の状況を確認。道内全域であること、数時間で復旧は見込めないと判明。

とりあえず水道は出ていること、ガスも点くこと、食料や水の備蓄が充分あることを確認して、ひとまず安堵。

ラジオで情報収集をしつつ余震に備える。

子供達が起きてから小学校近くのセブンイレブンが開いていると知り、向かう。酒瓶が割れ、商品が散在し、晴れているとはいえ証明がないので薄暗い店内で必死に働いている従業員さんに頭が下がる思いがした。

レジの長蛇の列に並んで、めぼしい商品はほとんどない中で、それでもなんとか主食に変わりそうな商品を選ぶ。いわゆるマドレーヌとかパウンドケーキとかの焼き菓子となるので、マリーアントワネットの言葉を思い出した。「パンがないならお菓子を食べればいい」。どんな王侯貴族だよ(笑)。でもないものはないんだから仕方ない。停電が長引いた時に、子供達を飢えさせるわけにはいかない。

私が家に戻ると入れ替わりに、長男は大学へ。停電のためボイラーが動かないので水シャワーを浴びた長男に、修行僧のようだと思う。長男の大学ではレジが動かないので、飲み物は100円、アイスは50円などとキリのいい値段で商品を投げ売りしていたらしくお茶を確保してもらう。

朝食はホットケーキ。家のガスコンロも使えそうだったけど、少し怖かったのでカセットガスで調理。冷蔵品が保たなくなるので、牛乳消費に躍起になる。これは失敗だった。今から思えば開いてない牛乳は冷凍庫に入れて保冷しておけばよかった。結果論でしかないけれど、後から牛乳が手に入らなくてものすごく苦労したので、この日に牛乳を大量消費したのは勿体なかった。

食後はやることもないので、あちこちから届くLINEに対応しつつ寝る。

 

地震について

北海道胆振東部地震を経験したので、忘れないうちに記録に残しておこうと思い、書き記してみる。

 

9月5日に台風21号が来たので、ベランダのものは避難させておいた。もし物干し竿があったら、どうなっていたのかは不明だけど、リビングのガラスに当たったらしていたら…と思うと結果的に良かったと思う。

6日の深夜3時、ミシミシという揺れの中で飛び起きる。すぐに携帯からエリアメールが鳴り響いて「遅いよ、お前!」と携帯に悪態をつきながら充電を引っこ抜いて、二階へ向かおうとする。その時に姿見が倒れてきたが、気にせず長男と二階へ。

二階は扇風機が倒れていて、子供部屋のロフトのはしごも娘の方は倒れていた。ハシゴを支えながら、まず長男が次男を下ろす。娘のはしごを戻して、支えながら娘も下ろす。

扇風機の伸ばしていた首を短く戻しておこし、テレビをつける。震源地が北海道、震度5程度と確認して、みんなで一階に降りる。モンステラが倒れていたので、箒で土を掃き、掃除機を出したところで停電。

すでに長男の友達の家は停電していたので、やっぱり停電したか、と思いつつ、寝室で次男と娘と寝ようとする。

翌朝食べるものがないことに気づいて、車で近くのローソンへ。電気はついているものの、店員さんは中で恐らくはオーナーに電話中、休業していた。あたりは真っ暗。信号も付いていない。これはダメだと思い家に帰る。途中、近くにある北会館の前に数人の人がいるのを見つけ、家に戻ってから歩いて向かう。自宅が停電したので自主避難してきたという若者たちの集まり。館長さんと連絡が取れないと言っていたが、ぱっと見て問題なさそうな若者たちだったので、そのまま自宅に戻って就寝

 

登校記

7/9の記録

 

朝はなかなか起きない。足が痛い、足底筋膜炎だと起きてくる。

準備もさっさとはやらないので、いつもより10分くらい遅れて登校。

 

帰宅後、頭痛外来へ。

首の腫れは良くなってきたが、片頭痛になっているのだろうと診断される。

痛み止めと片頭痛の薬を処方されて帰宅。

登校記

7/6の記録

 

目覚ましが鳴らないと起きてくる。頭が痛い頭が痛いと連呼。校歌を歌う元気はある模様。

イライラしているのか言葉がきついため喧嘩になる。しょんぼりと登校。

今日は三者面談。

 

面談後、朝の態度を謝ってくる。

頭は痛いようだが、4時間授業なので大丈夫だった様子